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考える言葉

上杉鷹山

1997年12月01日

 上杉鷹山(1751~1822)。アメリカのジョン・F・ケネディ大統領が生きていた頃、もっとも尊敬すべき日本人の名としてあげた人物であるが、戦後の日本人で知る人は意外と少ない。
 鷹山は九州の日向高鍋の秋月という3万石の小大名の家に生まれたが、縁があって、米沢藩上杉家の養子に入り、17才のときに藩主となる。
 上杉家は、上杉謙信の流れを汲む名家であったが、いろいろないきさつがあって領地は15万石に減らされていた。
 収入が八分の一に減ったにも拘らず、人員整理もおこなわず、従来の慣習をすべて経費を伴ったまま守り続け、藩財政は破産状態に陥っていた。
 構造不況の米沢藩を、私心のない高い思想で見事蘇らせたのが上杉鷹山であった。
 鷹山は、藩の経営改革の目的は『領民を富ませること』であり、その方法展開は『愛と信頼』におくことを明確にした。そして、この改革のために登用した幹部に「先ず自身が変わらなければ組織は変わらない」と説き、鷹山自らも自己革新を誓ったのである。
 改革の遂行に当たり、鷹山は自らの身辺に関する事から先ず、目的(民富)を価値基準に置き、改めていった。諸制度の改革にあたって、慣習に囚われて強硬に反対する者もいたが、相手の意見をよく聞き、目的の観点から説得し、私利私欲を徹底的に排除した。
 私心のない藩主鷹山の真摯な改革に取り組んでいる姿勢をみているうちに、領民たちも思いを同じくしていった。荒れた領地が蘇り、領民たちの心の中に希望が生まれ、国に活力がでてきた。
 
 (藩主の心得三カ条)
 一、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、我、私すべきものには之無く候
 一、人民は、国家に属したる人民にて、我、私すべきものには之無く候
 一、国家、人民のために樹てたる君にて、君のために樹てたる国家、人民には之無く候

 鷹山は、今から二百二十年も前に『藩主は人民に奉仕するもの』と主権在民を訴え、民主主義的な考え方を表明し、その通りに実行したのである。
 

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