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考える言葉

慢心

2013年07月08日

 人間がもっとも嵌りやすい危険な罠、それは"慢心"...。少し、"慢"がつく字を思いつくままに連ねてみよう。 

 "慢心(まんしん)"、""傲慢(ごうまん)"、"高慢(こうまん)"、"驕慢(きょうまん)"、"暴慢(ぼうまん)"、"我慢(がまん)"、"自慢(じまん)"、""増上慢(ぞうじょうまん)"、""侮慢(ぶまん)"、それから"慢性(まんせい)"、""緩慢(かんまん)"や""怠慢(たいまん)"等など...。どうだろう?こうやって書き並べてみると、どれ一つ取っても「まっぴら御免被りたい」と思うようなイメージの言葉のオンパレードではないか。

 確か、「慢」とは「無視する」の語源「蔑(べつ)」からきているそうで、人を侮(あなど)る、蔑(ないがし)ろにするという意味合いがあり、「他人に対して、そうあってはならない」と教えられて、育ってきたので、これらの言葉に対して自己抑制的である。

また、「驕れる者久しからず」という平家物語の有名な一節を例にとるまでもなく、有頂天から奈落の底へ真っ逆さまに落ちていった著名人や一流企業の"慢心"を、私たちの誰もが知っている。

 それにも関わらず、なぜ私たちは"慢心"の罠に嵌(はま)ってしまうのだろうか?

一つは、「"慢心"に対して自己抑制的な自分が"慢心"に陥るはずがない」という自分を買いかぶるところがある。油断である。

例えば、クレーム。やるべきことをやりながら、なおかつクレームが生じるということは先ずない。たいていの場合は、やるべきことをやらないで済ませようとする横着さ、つまり"慢心"があったはずだ。少しでも油断すれば、自分のことを優先してしまうのが"慢心"の怖さだということを心に刻んで置きたい。

もう一つは、志の低さ。頂点を極め、「もういいじゃないか」と思った瞬間から、奈落の底が待っているという。トップを走り続けることができるかどうかは、志の高さ以外にはない。追いつき、追い越せのときは、辛くても何とかなる。何とか食らいついていこうと走ることができる。

 真の実力を問われるのは、頂点を極めたときだ。時の優れた経営者をみていると、過去の実績に胡坐(あぐら)をかき、"慢心"してノンビリしている人はいない。つねに、危機感を煽り、社員を駆り立て、自らも駆り立て、考え抜いている。前人未到の地を想い描きながら、ひたすら走り続ける。その志と勇気がいる。

 経営者の課題が、そこにある。組織において、いかに恒常的な危機感を持たせ、土壇場に追い込んでいくか...。限界突破の力を引き出さない限り、前へ進むことはできないのだ。

 トップの"慢心"は、組織全体に伝播し、危機感の欠如を蔓延させるから要注意!

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