このページの先頭

トップページ > 考える言葉 > バックナンバー > 目標設定

考える言葉

目標設定

2014年04月14日

 某セミナーの講師を終え、懇親会での会話・・・。
 「先ほど、"目標設定"の良否が様々な格差の要因をつくっていると仰っていたが、私も同感です・・・。ところで、"目標設定"の良否って、何で判断すればいいのですか?」
 「いい質問ですね・・・。ところで、あなたは何をもって判断をされているのですか?」
 「・・・・・・。ウ~ン、何だろう・・・」
 "目標設定"に関するお決まりの議論がある。それは、「何とか努力すれば手が届きそうな現実的な目標がいいのか、それとも非現実的でも夢のある大きな目標がいいのか・・・」という議論である。さて、どうだろう・・・?
 その前に、「"目標設定"って、何だろう?」 その意味を考える必要がある。"目標設定"とは、一言でいうと自分の覚悟を決めることである。つまり、何ができるかではなく、何をしたいのか、自分の成し遂げたいこと、やりたいことを明確にすることである。そのように考えると、一番大切なことは他人から押しつけられた目標ではなく、自ら選んだ目標であるかどうかである。
 さらに覚悟を深めるために必要なことがある。それは、「なぜしたいのか」を考えることだ。その目標に対して、どうしても達成したい理由があれば、途中で投げ出すことはしないからである。
 このようにして、価値ある目標が明確になれば、あとは達成のための最適な手段の選択である。昔から「目的は一つだが、そこへ到達する手段は無限にある」といわれている通り、成功者の事例も踏まえて、思いつくことすべてリストアップすることだ。
 この段階であろう、現実的であるか否かの議論は・・・。つまり、目標は現実的であるかどうかは、どうでもいいのであって、それを達成するための手段の選択こそが、現実的であるかが、問題なのである。
 そして、いつ、どのように実行するのかを決める。
 "目標設定"とは、覚悟を決めることであるから、当然ながら結果を出さなければならない。つまり、"目標設定"の段階で、目標と手段の選択そして実行・検証までのプロセスがイメージできていることが肝心だ。
 もう一つ注意すべきは、"目標設定"とは「自分のやりたいことを明確にすることだ」と述べたがその通りである。「やりたいこと」つまり、その人の価値観の表現でもある。その時、自我的欲求が強い価値観の人は他から共感・共鳴されない場合が多い。
 だとすると、"目標設定"の良否はその人の価値観に左右されるということか・・・

このページの先頭へ戻る