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考える言葉

集中力

2020年11月18日

雲一つない秋晴れのなか、久しぶりにゴルフを楽しんだ。昼食後の後半は、半袖でも廻れそうな暖かさであった。
 クライアント先のゴルフコンペに事務所の連中4人で参加し、一緒にプレーを楽しんだが、スコアはいまいち・・・。歳のせいで、腕が落ちたのもあるが、肝心なところで"集中力"を欠き、凡ミスが多すぎたせいだろう。
 "集中力"(concentration)の低下、その原因は・・・。歳のせい?それも無きにしも非ずだが、やはり、執着心の欠如だろう。
 「もっと、ゴルフが上手くなりたい!」「スコアは90を切りたい!絶対に100を叩かない」など、執念に燃えて一打一打を大事に打っていたような気がする。
 だが、"集中力"の低下を嘆いてばかりいてもしょうがない。
 「ゴルフは遊びだから」と言い訳しても、誰にも迷惑をかけるわけではないが、仕事においてはそうはいかない。それが歳のせいであるならば、「老兵去るのみ」だろうし、執着心の欠如だとなれば、手抜きを指摘されるであろう。
 執着心の欠如といったが、"集中力"は「心の持ち方」で強弱が決まる。つまり、「心の強さ」以外の何ものでもないと思う。
 では、「心の強さ」はどうやって鍛えられるのか?一言でいうと、目標設定の良し悪しで決まる。なにがなんでも達成したいと心の底から思えるような価値ある目標をイメージできるかどうかだ。
 そして、「あるべき姿-現状」が問題であり、その問題をどう解決するかを真剣に考えるところから、目標が生まれる。つまり、日頃の問題意識から目標が生まれ、その達成のプロセスの中で、「心の強さ」が鍛えられ、"集中力"が培われるのである。
 そう考えると、"集中力"は日頃の鍛錬によって習慣化できるものだと思う。朝起きたとき、「今日一日をどういう生きるか」を考え、その成果とすべき目標を一つ、明確に掲げる。そして、それに集中する。
 その気になれば、すぐに実行できることだ。仮に、その掲げた目標が他への貢献的な内容であるならば、なおさらである。有言実行し、他からも喜ばれるし、集中力が養われる。
  中国の古典「呻吟語」(呂新吾)の中に、次のような言葉がある。
 「精神を集中すれば、諸々の善が寄り集まってくる。逆に、精神を弛緩させれば、諸々の悪がその隙につけこんでくる」
"集中力"の必要性を語った言葉である。心が弛んでいては、なにもできない。
 

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