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考える言葉

黒白

2013年02月26日

 好評だった「"考える言葉"シリーズ(13‐05)下山のとき」に続いて、五木寛之氏を再登場させたい。(余談だが、訪米中の安部総理は、記者会見で「I'm back」といって笑わせていた・・・。)

 

 氏は、「文化は下山のときこそ成熟する」という。何かに集中することによって上昇した時代と違って、私たちは多様性の妙に気づかされる時代を生きており、それを大切にしなければならないときだといえる。

 

 氏は、その点について次のように表現している。「現代の特徴は、"黒白"(こくびゃく)をつける時代ではない」と。全くの同感である・・・。

 

 私たち現代人は、情報の渦の中で生きている。

 

 「それらの情報の中から、なるほどと納得できるものを選んで、日々の暮らしに使う。しかし、巷にあふれる情報は、ほとんど当てにならない。ある人は白といい、ある人は黒という。また、これまで常識として信じられてきたことが、一夜にしてくつがえされたりもする」(五木寛之)。

 

 黒か白か、善か悪かという二分法で、二者択一するような判断ができなくなったということだろう。確かに、「Aを取るなら、Bを捨てる」という判断は、ある意味では容易であるが、いまや通用しないのだ。

 

 以前に、経営人間学講座で「善から生まれる善は偽善であり、悪から生まれる善こそが真善である」という言葉を学んだことがある。つまり、善悪は単純に区分できるものではなく、その時々の関係性のありようによって、善が悪になったり、悪が善になったりする。善であり、同時に悪である。善の中に悪がある。関係性によって、いかようにも変化してやまないのである。

 

 世の中に存在するものすべてが、関係性で成立しているのであれば、そもそも分離して優劣をつける行為こそ無意味となる。一見、二項対立の関係に見えるものを統合できる価値観こそが求められる時代である。"黒白"は対概念である。親子、夫婦、主従、師弟も、すべて然りである。

 

 五木氏も示唆しているが、肝に銘ずべきは「人間は自らの欲するものしか見ていない。全体を見渡しているつもりでいても、じつは見たいものしか見ていない」という事実である。だから、なかなか真実を掴めないでいる。

 

 いまや時代は成熟のときを迎え、多様化している。科学の世界でも複雑系という概念がさかんに言われているのも、そのためであろう。

 

 "黒白"をつける時代ではない。まさに、統合の価値観が求められる時代である。

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